2017年3月1日水曜日

語り部シンポで、語り継ぐ仕掛けが話題に!

はっしーです。

2月26日、27日に、「第2回全国被災地語り部シンポジウム in 西日本」が開かれました。
会場の淡路夢舞台国際会議場には約430人が集い、「震災の教訓を未来へ語り継ぐためにどうするか」、を熱く語り合いました。
 
 
 26日には、仙台空港から伊丹空港まで飛び、世界最長という明石海峡大橋を渡り、会場入り。
 

  
五百旗頭誠真(いおきべまこと)・ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長は、基調講演で、
「被災者を見捨てない、順繰りに支えたい。地震で「何が起こったかを記録し、将来に伝えたい」と話した。

全国から集まった、震災語り部関係者の交流は拡大する一方で、貴重なアドバイスで溢れています。
 
南三陸ホテル観洋の阿部憲子女将が、世界の共通語として「カタリベ」を広げたい、と提言したほか、被災地に来た人が「第2の震災語り部」となれる、との発言も出ました。高齢化している現状を踏まえ、高校生に伝えているとの取り組みも紹介されました。「1億総語り部」にすべきとの意見もありました。このシンポは、来年以降も継続されます。
 

野島断層帯は、淡路島の北西部海岸を走り、北へ延びている。江崎灯台近くの階段途中が約1m右にずれている (左側写真が東日本大震災前の写真で、右側が震災後の現状写真)。


野島断層保存館には、地震によりあぜ道が右側に移動した、断層の様子が見て取れる。
 

保存館脇に隣接していた、民間住宅は断層が走っていたが、鉄筋コンクリートのため若干傾いたものの住むには支障のない状態で4年間、生活していた、という。当時、市役所職員だった宮本肇さんが150回通い続け、説得。震災遺構として保存されている。(写真は震災時を再現した台所)
 
気仙沼では、旧気仙沼向洋高校が遺構として保存され、2年後に公開予定です。
 

“復興凧”を発見、気仙沼にも日の出凧が有名ですよ。第30回記念の気仙沼天旗まつりは、遺構として保存される旧気仙沼向洋高校の北側で盛大に開催されます。
 

27日に、伊丹空港から帰路につきました。自宅着は午後9時過ぎでした。
 

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