2017年3月11日土曜日

あの日から6年・・・

畠山です。

2011年3月11日・・・
そして今日、2017年3月11日。
あれから6年経ちました。

(東日本大震災写真保存プロジェクトより)
 
 
 
あの日まであった「おはよう」「いってきます」「ただいま」「おやすみ」という日常、
先人達が長い年月をかけて作り上げてきた街は一瞬にして無くなりました。
 
あの日は自分(人間)の無力さを痛感した日でした。
 


死者:1245名
行方不明者:218名
(2017年2月末現在 市発表)

今日も海岸では大規模な捜索活動が行なわれます。
1人でも多くの方が家族のところへ帰れるようにという思いを持って、
全国各地から訪れた多くの人達が捜索活動を行います。
本当にありがとうございます。


震災では多くの方々との別れを経験しましたが、震災後には多くの出会い
を経験しました。

気仙沼市以外から多くの人達が気仙沼市を助けにきてくれました。
しかし、時が経つにつれてその人達との別れもあります。
一緒に復興に向けてがんばってきた仲間がいなくなるのは寂しいですね。
でも、一度できたつながりは無くなる事はありません。
また、気仙沼に遊びにきてほしいと思います。




 
 
今日の新聞の一面には市の中心部の航空写真が使われていました。
復興に向けて進んでいるということを感じさせてくれます。
 
 
しかし、写真では写すことのできない「不安な心」を抱えてがんばっている人も
沢山います。
 
 
みんな本当にがんばっています。
 
 
 
 



地元の新聞(三陸新報)には「未来へ輝く笑顔 震災後に生まれた子供たち」
ということで子供達の笑顔の写真が載っていました。

気仙沼市の現在の人口は6万5762人(2月末現在)

今後、少子高齢化が進み人口が減っていくという中で子供達は本当に宝物です。







これから長い道のりを歩いていく子供達。

色々な出来事があると思いますが、自分の道を歩いていってほしい。




まとまりのない文章となりましたが、被災地とよばれている場所では
まだまだ皆様の力を必要としています。
特別なことではありません。
ただ来てくれるだけでいいです。
楽しんで、美味しいものを食べて、泊まっていただくだけでいいです。


私たちはお客様が楽しんで「また来るよ」といっていただける街になるように
みんなで知恵を出し合ってがんばっていきます。

「心をひとつに」・・・震災時に使われていた言葉です。
震災当時はまさに「心をひとつに」乗り越えてきました。

震災から7年目に突入します。
復興が進んできて当時と置かれている立場が変わり「心をひとつに」が
難しくなってきている場面も出てきました。

今日という日にもう一度あの時の「心をひとつに」を思いだし、進んで
いきたいと思いました。

「がんばろう気仙沼」、「がんばろう日本」、「がんばろう皆さん」、「がんばろう自分」


もういちど原点に戻って前向きに進んでいきたいと思います。








 


2017年3月1日水曜日

語り部シンポで、語り継ぐ仕掛けが話題に!

はっしーです。

2月26日、27日に、「第2回全国被災地語り部シンポジウム in 西日本」が開かれました。
会場の淡路夢舞台国際会議場には約430人が集い、「震災の教訓を未来へ語り継ぐためにどうするか」、を熱く語り合いました。
 
 
 26日には、仙台空港から伊丹空港まで飛び、世界最長という明石海峡大橋を渡り、会場入り。
 

  
五百旗頭誠真(いおきべまこと)・ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長は、基調講演で、
「被災者を見捨てない、順繰りに支えたい。地震で「何が起こったかを記録し、将来に伝えたい」と話した。

全国から集まった、震災語り部関係者の交流は拡大する一方で、貴重なアドバイスで溢れています。
 
南三陸ホテル観洋の阿部憲子女将が、世界の共通語として「カタリベ」を広げたい、と提言したほか、被災地に来た人が「第2の震災語り部」となれる、との発言も出ました。高齢化している現状を踏まえ、高校生に伝えているとの取り組みも紹介されました。「1億総語り部」にすべきとの意見もありました。このシンポは、来年以降も継続されます。
 

野島断層帯は、淡路島の北西部海岸を走り、北へ延びている。江崎灯台近くの階段途中が約1m右にずれている (左側写真が東日本大震災前の写真で、右側が震災後の現状写真)。


野島断層保存館には、地震によりあぜ道が右側に移動した、断層の様子が見て取れる。
 

保存館脇に隣接していた、民間住宅は断層が走っていたが、鉄筋コンクリートのため若干傾いたものの住むには支障のない状態で4年間、生活していた、という。当時、市役所職員だった宮本肇さんが150回通い続け、説得。震災遺構として保存されている。(写真は震災時を再現した台所)
 
気仙沼では、旧気仙沼向洋高校が遺構として保存され、2年後に公開予定です。
 

“復興凧”を発見、気仙沼にも日の出凧が有名ですよ。第30回記念の気仙沼天旗まつりは、遺構として保存される旧気仙沼向洋高校の北側で盛大に開催されます。
 

27日に、伊丹空港から帰路につきました。自宅着は午後9時過ぎでした。